気軽にblog

不妊治療で8回の人工授精を行うも結果に至らず。体外受精1回目で妊娠、出産。現在、第二子の不妊治療中。備忘録を兼ねて、ブログにアップすることにしました。その他、日々のことなども。

13W5D NTを告げられてからの1週間

昨日はなかなか眠れませんでした。

つわりが原因ではありません。

むしろ一度も食べたり、飲んだりせずに朝を迎えられたので、

体調はいい方だと思います。

 

ほっとしたせいか、この1週間のことを振り返っていました。

7日間がとにかく長かった。

 

まず1日目にNTを告げられた日。

驚いたけど、知識が元々なかったので、

病院ではショックは受けませんでした。

「正常値内じゃん」程度の認識でした。

ただ診察室の雰囲気や、診察室を出た後の看護師さんの対応に

重大なことだとなんとなく感じたのでした。

看護師さんが慌てて追いかけてきて、

深刻な顔をして慰めてくれました。

真っ白な頭で帰りの電車移動を過ごし、

帰宅すると検索魔タイムです。

体験談や記事を見て、どんどん不安になりました。

”なんですんなり我が子に会わせてもらえないんだろう”

以前の流産のことや、

子どもを作るかどうか意見が合わずに別居していたこと、

といった悲しい思い出が甦りました。

夫の帰宅後に、状況を伝えました。

夫は”速やかに検査をして、陽性が出れば諦めること。

もしそれでも出産すれば、子育てには関われないので離婚。”

とすんなり答えを出しました。

 

最悪の場合、この子の命を自らの手で奪うこと、を目の前に突き付けられ、

NTのことを心から恐ろしい存在だと思い知った瞬間でした。

 

2日目、とはいえ、まだまだNTや出生前診断のことは

きちんとした知識もなく、検索魔続行。

これまで「初めてのたまごクラブ」で流し読みした程度でした。

周りでも受けた人がいたのに

なんでその時にしっかり話を聞いておかなかったんだろう。

調べれば調べるほど怖くなりました。

けっこうやばいことなのでは?と思い始めました。

実際に人に会って、話を聞くために、外出しました。

体験談は参考になりましたが、あくまで他の人の体験談。

当然のことながらおかれている環境が異なるので、

最終的には自分の意思で決めなければいけないと痛感。

でも会って聞いてよかったです。

 

3日目、セカンドオピニオンを受けるために、再び外出。

主治医とはまったく異なる考えをお持ちでしたが、

私にとっては意味のある時間でした。

行ってよかったです。

ネットでは得られない貴重な話を生で聞けました。

帰宅してから、再び検索魔。

この数日間に聞いたいくつかの話と、夫の意見と、私の考えを

集約しながら、もう一度、検索魔。

そして初期胎児ドッグを予約しました。

ただその技術がある人は限られており、他府県まで行く覚悟が必要でした。

妊娠してからというもの、外出ができていない現状。

最大の冒険が、かかりつけの産婦人科への往復2時間の電車移動。

それでもいっぱいいっぱい。

行けるのかな?

でも行く必要があるのなら、がんばろうと思えました。

それくらい大きな決断を求められているのだから、

どんなことでも耐えよう。

 

4日目、この日は自宅で過ごしました。

たくさん考えました。

次回の診察で問題がなければ、それでOK。

そう信じたい。ポジティブでいたい。

でもそうではなかった時のことも、用意しておくように、

と医師からは言われている。

考えたくないけど、夫の出した結論が頭をよぎる。

でも私はその考えには同意できていない。

この子が私のところに来てくれた時に、泣いて喜びました。

”来てくれてありがとう。これからずっといっしょだよ。

もうどこにも行かないでね。

今度こそ、ちゃんと私が産んであげる。

いろんな経験をいっしょにしよう。

世界中の楽しいことを知らせてあげたい。”

当時のその気持ちは忘れられません。

つわりで入院した時も、毎日、語りかけていました。

つらくて心が折れそうな時は、

心の中でこの子を思いっきりハグして、

なんとか前向きになろうとしました。

なのに、出生前診断を受けて、万が一陽性だったからといって、

私の意思でこの子の命を絶つことが、

約束を破るように思えました。

もちろんその選択をすることを否定・批判は一切しません。

そのような方々も実際のところ、たくさんいるわけで、

考えがあってのことなので、

その人にとっての最善の方法だったんだと思います。

 

そして流産した子のことも、大きかったです。

8週でのさよならだったので、一般的に考えて、

染色体異常が原因であることがほとんどで、

母親にできることはないとたくさん言われました。

それでも、産んであげられなかった後悔と謝罪の気持ちは

今でも持っています。

「産んであげられなくてごめんね」から、

「短い間でも来てくれてありがとう」に気持ちの比率は変わりましたが、

ごめんねがなくなることは、今後もありません。

直後のように、ひたすら泣いて過ごすことはなくなりましたが、

今も時々涙が止まらなくなることはあります。

なので、もし陽性が出て、再びこの子と離ればなれになるとすれば、

もっと苦しい気持ちをずっと抱え続けることになる。

”今度こそきちんと産んであげたい”という気持ちは嘘ではない。

かといって、もし陽性であると知りながら産んで、

シングルマザーとして育てられるのだろうか。

自分の決断力のないせいで、

子どもがつらい人生を送ることになったら、単なる私のエゴでは。

1人でも障害のある子を育ててみせる、というのは、

今の私の勝手なきれいごとではないのか。

世の中にたくさんそう人がいるけれでも、私はそんなにすごくない。

自分の能力ではそれは無理ではないのか。

結局、周りの人や子どもに迷惑を掛けるのではないのか。

すぐには自信が持てませんでした。

でも少しずつ私の意思は、かたまりつつありました。

陽性を目の前にして、改めて同じことを言えるのか、と

何度も何度も考えて、でもがんばろうと自分に言い聞かせていました。

 

今後出生前診断の検査を受けるとなれば、

きっと「中絶」という単語を聞いたり、目にしたり、する機会が

増えることは間違いないと思います。

陰性だったら問題ないのですが、陽性だった時のことを想定して、

動く必要があることが大前提です。

そうなると、「中絶」という言葉が脳を通過するたびに、

それがどんどん現実に近づいてきそうな気がして、

”言霊”の持つパワーにいつの間にか飲み込まれそうな恐怖を感じていました。

決してこの子に話しかけるわけではないけど、

その単語が伝わってしまいそうに思いました。

私はこの日に、出生前診断は受けないという考えに傾いていました。

 

5日目、弱気になったり、前向きになったり、たくさん揺れ動きました。

6日目も同様でした。同じ考えがいったり、きたり。

夫は一度話し合って以来、何も触れることはありませんでした。

すべての決断は私にゆだねられている。

私とこの子の2人の課題だと割り切りました。

私の両親なら全面的に支援してくれることは間違いない。

でも両親ありきで、進みたくない。

もし本当に困った時は両親や行政に頼ることも手段の一つですが、

あくまでそれは最終手段にしたい。

 

こうやって過ごしている間にも、

この子はきっとお腹の中で一生懸命成長している。

その力を信じたい。

もしかしたらそのがんばりのおかげで、

NTがなくなっているかもしれない。

 

7日目、かたまりつつあった意思を、初めて口にしました。

頭の中で考えていたことを、宣言することで、

迷いが改めて断ち切れました。

「もし陽性が出たとしても、諦める選択はしない。

 シングルマザーでもいい。」

出生前診断を受けられるリミットまで、少しの猶予があるので、

受けるかどうかはまだ最終決定しない。

ただ、検査をするのであれば、その目的を

諦めるための検査ではなく、より万全な出産に備えるための検査にしたい。

 

こんな7日間を経て、内診を受けた訳です。

今までだったら、不安や恐怖でたくさん泣いていたと思います。

でもこの7日間は一度も泣けませんでした。

診察でNTが消えたことを知った瞬間、初めて泣きました。

今となっては「先生の発言でどれだけ悩んだことか」と

すっかり笑い話になりましたが、苦しい苦しい時間でした。

でも改めてこの子がいてくれるありがたさと、パワーを得られた

経験になりました。

もう悩まない。もう迷わない。

NTがあっても、ひたすら心臓を動かし続けた我が子に感謝です。

この子のがんばりのおかげで、今があります。

私も負けないくらい、ちゃんとしよう。